1967年 ルマン24時間レース

先週のスポーツ新聞で、「アウディR10 TDIが、ディーゼルスポーツカー初のALMSタイトルを獲得」という記事を目にしました。そうだ、1960年代は、F1とスポーツカーレースが人気モータースポーツの中心だったことを思い出し、今回はスポーツカーレースについて一言。
当時のモータースポーツは、F1はドライバー中心、スポーツカーレースはメーカー中心という構図ができていました。従ってメジャーなメーカーはF1にはあまり興味を示さず(フェラーリは別格ですが)、ポルシェが一時期参戦していたのを除き、エンジン供給をしているに留まり、スポーツカーレースに力を注いでいました。1950年代は、メルセデス、ジャガー、フェラーリなどが覇権を争い、1960年代はフェラーリ、フォード、そしてポルシェ、アルファロメオが覇権を争っていました。
その中で、1964~1967年にかけては、フェラーリ、フォードの2つのFが覇権を争っていました。本当かどうかわかりませんが、H.フォード2世がスポーツカーレースを支配しようとし、フェラーリ買収に走ったところ、E.フェラーリがクビを横にふり、怒ったフォードが自らマシンを作成してスポーツカーレースに挑戦しだしたという逸話が残っています。
いくら巨大資本のフォードといえども参戦1年目は散々な成績で、2年目の1965年にはアメリカの各種レースで実績を残していたC.シェルビー、A.マンといったレーシングチームに運営を任せました。その結果、スポーツカーレースのチャンピオンを獲得することができました(コブラフォードという車です、日本では1960年代に酒井正選手の愛車として活躍していましたので、ご存知の方も多いと思います)。しかし、肝心のルマンでは、7リッターのモンスターマシンを投入しても結果はリタイア。必勝を期してフォード・マークⅡを持ち込んだ1966年に初優勝をとげています。
そして1967年を迎えます。前年無冠に終った、フェラーリは330P4というマシンを新たに開発し、スポーツカー選手権の初戦デイトナ24時間レースに乗り込んできました(蛇足:フェラーリの車は3桁の数字がついていますが、これは排気量を意味しており、330であれば、330×12=3960で4リッターの12気筒エンジンを搭載しているという意味です。12気筒以外は最初2桁が排気量、最後の1桁が気筒数でした。512BBが発表されるまではこの形で推移していました)。結果は、フェラーリの1,2,3フィニッシュで、後にフェラーリ365GTBといいう車が市販されますが、愛称がデイトナといわれるのはこのレースの勝利を祝してのことだそうです。フォードは前年活躍したマークⅡを7台近く持ち込みましたが、トラブル続出で惨憺たる結果に終りました。そして第2戦のセブリング12時間レースを迎えます。このレース、フェらールは欠場し、フォードはマークⅣという新型マシンを投入し、見事優勝します。その後舞台をヨーロッパに移し、モンツァ1000Kmレース(先日のイタリアGPの舞台、この当時スポーツカーレースは、バンクコースを利用した1周10Kmのサーキットでした。F1は危険とのことで、バンクは利用していません。)ではフェラーリが圧勝し、その後数レースは両ワークスも親権には参戦せず、ルマンを迎えます。
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フォードは4台のマークⅣ、フェラーリも4台の330P4を持ち込みましたが、フォードが全てワークス体制であったのに対して、フェラーリワークスは2台のみで他のP4はセミワークスからの参戦、若干見劣りがする体制です。結果は、フォイト/ガーニー組のフォード・マークⅣが2位のフェラーリ330P4を4周引き離す圧勝で終了しました。レース自体は淡々とした流れでおもしろみにかけたということですが、この年以降は、排気量に制限を設けた形でのスポーツカーレースとなり、ある意味で古きよき時代を反映した最後のルマンだったかもしれません。
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また、この年に限らずルマンには、多数の現役F1ドライバーが参加しています。優勝した、D.ガーニーの他、B.マクラーレン、C.エイモン、M.パークス、L.スカルフィオッティ、J.シフェール、P.ロドリゲスなどが参戦しています。ルマン以外のスポーツカーレースには、J.リントやJ.スチュアートも参戦していました。F1ドライバーもF1レースが10戦しかなかったためか、スポーツカーレースやF2、インディカー、そしてCan-Amなど種類の異なるレースに結構参戦していました。

写真は http://motorsport.com/photos/ から

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