ヨッヘン・リントとモナコGP

J.リントも好きなF1ドライバーの一人です。オーストリア人なのですが、よくオーストラリア人に間違われたそうです。現在は、B.ベルがーなどオーストリア出身のF1ドライバーはたくさんいますが、当時はタスマン勢と言って、オーストラリア・ニュージーランド出身のF1ドライバー(J.ブラバム、B.マクラーレン、D.ハルム、C.エイモンなど)が多数いたため間違えられたそうです。
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さて、そのリントですがデビューはプライベートでしたが、その後はクーパーに乗ってそこそこ活躍していました。有名になったのは1965年のルマン24時間レースです。NARTエントリー(セミワークス)のフェラーリ275LMに乗って見事優勝しました。また1967年からはF2でブラバムに乗り破竹の勢いで優勝を重ねています。
F1ではなかなか優勝することができずにいましたが、1969年にロータスに移籍し、スペインGP(トップ快走中にウィング脱落でリタイア)、イギリスGP(ガス欠で4位転落)、イタリアGP(J.スチュアートに0.01秒差の2位)を経てアメリカGP(当時は、ワトキンスグレンで実施)で念願の初優勝を飾りました。
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写真はウィナーズサークルのJ.リントとP.カレッジ(2位入賞)
翌年は、名車Lotus72を得て、チャンピオン街道まっしぐらでしたが、運命のイタリアGP予選で事故死してしまいました。死亡してからF1チャンピオンに輝いたのは、J.リントただ一人です(今のところ)。
たぶん、彼はこの1970年にF1チャンピオンとなったら引退したであろうと言われています。彼はドライバーであると同時に実業家でもあり、1968、69年には地元のオーストリアでモーターショーをプロモートしており、そのみちでの実績も積んでいました。そして1970年のオランダGPで親友のP.カレッジを失ったこと(レース中に事故死)ことも引退の意思を強くしていたと言われています。F1は1964年から70年までの短い期間でしたが、彗星のごとく記憶に残る走りをした天才肌のF1ドライバーでした(享年28歳)。

F1優勝は6回ですが、1970のモナコGPをLotus49cを駆り優勝しています。この年はLotus72で活躍するのですが、スペインGPでデビューした72は強度不足でモナコでは旧型の49cで参加し、最終ラップでJ.ブラバムを逆転するという劇的な勝利をあげています。今年のモナコGPもこのようなドラマを期待してTV観戦することにします。







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